ケータイ辞書JLogosロゴ 安見郷(中世)


茨城県>阿見町

 鎌倉期に見える郷名。常陸国信太荘のうち。元徳3年5月27日の関東下知状に「当庄内大岩田・安見郷等役事」と見え,大岩田郷とともに,駿河式部大夫高長が地頭として支配していたが,対捍していた元徳元年の年貢銭13貫37文について納入を命じられている(東寺百合文書/土浦市史編集資料)。戦国期の状況について,慶長16年9月16日に若惣百姓より御奉行所へ出された阿見野野論訴状は,50年前(永禄4年)安見の岩坪村と波多野山城殿が地頭であった若栗村とが争いを起こしたが,土岐越前が近郷の吉原へ来て調停したこと,35年前(天正4年)に安見村が土岐五郎の知行地になった時,若栗村に無断で境を立てたので,若栗村は江戸崎の奉行衆に訴え,岩坪と甕尻谷津と鳳凰の3か所を荒地とすることに定められたこと,中河内伝五が担当した太閤検地の時にも,また蘆名盛重へも永荒地として届け出たことなどを伝えている(湯原家文書/阿見町史編さん史料)。文禄の太閤検地を機に信太郡に属す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271243
最終更新日:2009-03-01




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