ケータイ辞書JLogosロゴ 荒川郷(中世)


茨城県>阿見町

鎌倉期に見える郷名常陸国信太【しだ】荘のうち元徳元年11月日の地頭代官良円の結解状に「常陸国信太上条内五ケ郷大村・吉原〈惣領分〉,福田・竹岡・荒川〈庶子分〉京進絹代,正中二,嘉暦元,二,三以上四ケ年結解事」と見える(東寺古文零聚)当郷は信太荘の上条【じようじよう】内の5か郷を支配した地頭の庶子分で,正中2年から4年間の年貢の収支決算を地頭代官良円が報告している当郷は元徳元年11月7日の関東下知状に見える本郷と同一と考えられ(東寺百合文書/土浦市史編集資料),現在の土浦市と阿見町にまたがる荒川本郷・荒川沖の付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271264
最終更新日:2009-03-01




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