- JLogos検索辞書>
- 荒町(近世)とは
「荒町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
荒町(近世) 江戸朝~明治9年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期~明治初年の町名酒田湊のうちで酒田町組の1つ酒田西部に位置する明暦年間すでに2町に分かれていたが,公簿上は一町として扱われた明暦2年の酒田町絵図には荒町長さ31間・屋敷16軒と見えるが,元禄9年の亀ケ崎城下大絵図(荘内神社所蔵)では長さ156間・道幅5間余となっている天和2年の町割家数人数書上帳(県史17)によれば,家数37軒・人数247御神宿帳に寛文9年神宿荒町五郎右衛門と町名が見える(酒田市史史料篇7)弘化3年不作による打毀しがおこり,当町門蔵なども荒瀬・平田・遊佐【ゆざ】各郷の百姓の打毀しを受けた(同前2)問屋・宿・酒屋・質屋・髪結などの職が多かった神社は下山王社同社は慶長6年の建立と伝えられ,正徳2年下台町に移転(同前7)明治初年頃上荒町・下荒町に分かれる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期~明治8年の町名高遠【たかとお】町のうち南は三峰川,西北は藤沢川,東は月蔵山に囲まれた段丘地上にある武家町高遠城の東口正面の通りにあたる元禄2年までの様子を描く鳥居家高遠旧図には,搦手門から真東に「荒町通 長さ144間・幅3間」と見える「木の下蔭」には「今侍屋敷の小路小路を荒町或は横町といへり」と記される安政3年の家中調べ(内藤十五世紀)には武家屋敷9戸と郷方役所がある北は大屋敷町入野谷道を往来する人馬でにぎわった廃藩後は人家も減り,屋敷も大半取払われて畑地となった大砲周発台発明家坂本天山の出生地で,石碑が立つまた藩校進徳館師範中村元起の屋敷もあった明治8年東高遠町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期~明治7年の町名木田地方のうちに成立した1町木田荒町とも呼ばれる北陸街道沿いに位置し,南は新屋敷下町,北は木田組の新町に接した正徳3年頃の御城下惣町間数帳に「〈地方〉往還木田荒町 三拾弐間,新屋鋪町ヨリ新町迄」と見える当町の道の西に一里塚があり,印として2本の榎が立っていた上は荒井,下は松本組荒町の間が1里であった(名蹟考)寛文12年真宗大谷派正蔵寺が移建され,現存している天保年間頃の戸数23(木田町組水帳)明治7年豊町の一部となるなお合併時の戸数53... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期~明治5年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期~明治22年の町名下館城下の1町上町のうち町人地下館城の南に位置し,町筋は大町に東接して東西にのびる西は菅谷村(新町)に接し,結城路となる寛永16年藩主松平氏によって創設された町という(下館市史)天台宗真福寺・浄土宗専称寺がある明治22年下館町下館の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期~明治期の田家村の字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期~明治7年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期の町名松代城下の一町海津城の南東に位置する嘉永年間の侍屋敷之図(松代町史)によれば,恩田頼母下屋敷の南に続く町で,大姥大権現・薬師があるが,侍屋敷はない明治4年廃藩置県以後は松代町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒町(近世) 江戸期の町名堺町通椹木町上ルの町寛永14年洛中絵図に見え,西側には妙堯寺があった寛文12年洛中洛外大図にはすでに町名は見えず,跡地は公武の屋敷地となっているどこに替地されたか不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」