ケータイ辞書JLogosロゴ 有河村(近世)


茨城県>霞ケ浦町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国新治【にいはり】郡のうち。はじめ佐竹氏領,元禄年間は幕府領,幕末期は土浦藩領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高簿」ともに27石余。助郷は加助郷のほかに将軍日光社参の時の寄人馬徴収が賦課され,古河宿まで出役(出島村史)。土浦藩領の年貢米を運ぶ輸送路になっており,柏崎村,加茂村の赤塚・川尻,当村の各河岸を利用して土浦へ運んだ。幕府領・旗本知行地の年貢は当村と柏崎村・牛渡村の2,3の河岸を利用。霞ケ浦四十八津の1つで,当村の津頭に九右衛門(十右衛門)の名が見える(出島村史)。明和3年刊「不言集」にはじめて当村と安食村の俳人の名が見える。文化13年に霞ケ浦沿岸107か村に対して洪水防止のための自普請で「州浚い」(川路の砂浚い)の命が出されたが,当村を含む90か村は拒否した。文政3年には入用普請に代わり,普請後は高割人足で定浚いの条件となるが,当村など15か村が拒否した。文政5年土浦藩領田村の名主大川源左衛門が決死の覚悟で老中水野出羽守に越訴し,州浚い・定浚い人足御免となった(出島村史)。寺院は真言宗竜福寺,神社は牛頭天王(新編常陸)。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。明治22年牛渡村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271292
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ