ケータイ辞書JLogosロゴ 粱津郷(古代)


茨城県>北茨城市

平安期に見える郷名「和名抄」常陸国多珂郡八郷の1つ「和名抄」では「梁津」とあるが,粱津が正しい(新編常陸)多賀山地に属する山間部と太平洋岸の平野部を含む里根川沿いの地域で,現在の北茨城市大津町・平潟町・関本町地区に比定される粱津は常陸国の最北の港として,陸奥【むつ】への物資輸送に大きな役割を果たしたと推測される北茨城市関本町山小屋の大塚古墳は,多珂郡最大の規模を有する5世紀後半〜6世紀前半の前方後円墳で,多珂国造の初祖建御狭日命の墳墓と伝えるが,自然丘陵で古墳ではないともいわれる多珂郡衙は,はじめ当郷内(現在の関本町地区)にあったが,のち養老2年以降に多珂郷に移ったという説もある大津には奈良初期の廃寺跡があり,金堂跡と推定される基壇や複弁六葉蓮華文の軒丸瓦・軒平瓦が出土している大津の佐波波地祇神社は江戸期に式内社に比定されたが,上小津田の佐波波地祇神社を式内社とする説もある当郷の北には勿来【なこそ】関(福島県)があり,奈良・平安期には陸奥国菊多郡と境を接する蝦夷経略上重要な地域であった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271300
最終更新日:2009-03-01




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