ケータイ辞書JLogosロゴ 阿波山村(近世)


茨城県>桂村

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。天保14年大山村が改称。水戸藩領。村高は,「旧高簿」985石余。那須街道が通る。鎮守は阿波山上神社。浄土宗阿弥陀寺が天保13年に水戸藩の社寺改革によって破却され,住職の竜瑞和尚は赤塚村で追放された。この時,当村では,祖先の礼拝葬儀はすべて神道という藩命に従って,桶屋仁衛門が死去した時に初めて神葬祭を行ったので,奉行から村役人に賞詞があったという。弘化元年の斉昭の雪冤運動には,村内の正之介ら7名が参加。嘉永6年のペリー来航時には,徳宿太重郎の長男部平が浦賀(神奈川県)まで行って外国船の動静を探っている。元治甲子の乱には大高要介が参加,敦賀(福井県)で斬首。明治元年市川三左衛門ら旧幕府軍と新政府軍が阿波山で戦い,市川勢は政府軍を破って水戸弘道館まで進撃。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治9年の那珂郡農民一揆では阿波山上神社が一揆勢の集結地点となり,阿波山村からは2名が参加,罰金刑を受けた。同11年阿波山小学校創立。明治22年沢山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271313
最終更新日:2009-03-01




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