ケータイ辞書JLogosロゴ 安房郷(中世)


茨城県>旭村

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。常陸国鹿島郡のうち。天福2年10月21日の烟田秀幹譲状に「烟田・安房堺〈北限堀柏熊沢大海庄司塚〉」と見え,当地は烟田氏の本貫地烟田の北西に隣接していた(烟田文書/鎌遺4693)。「烟田系図」によれば,鎌倉初期,秀幹の四子幹直が当地に拠り「安房四郎」と称して以来安房氏の支配下に属したという。当地の安房城跡には現在土塁や古井戸などが残る。延文2年河内守幹連譲状案には「鹿嶋郡安房郷内新里村也」とあり,郷内には荒野開発の進展に伴い新里村の成立をみた(烟田文書/大日料6‐21)。室町期には鹿島氏が進出し,永享7年8月9日の常陸国冨有仁注文写によれば,当地は家臣の奴加賀大炊助の支配下に置かれている(続常陸遺文)。また「鹿島治乱記」大永6年条には「鹿島郡内安房・徳宿・飯名・柏隈・勝下・鉾田ヲ但馬守殿割渡」と見える(群書21)。「烟田旧記」天正12年8月7日条によれば「夜武田より日里へ動有半二郎在所火手を被上候」と見え,郷内日里にて戦闘が行われている(続常陸遺文)。文禄4年7月16日の中務大輔当知行目録写に「一,五百卅石四升 あんはう」と見える(佐竹義秀文書/家蔵文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271321
最終更新日:2009-03-01




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