ケータイ辞書JLogosロゴ 飯塚村(中世)


茨城県>真壁町

 室町期〜戦国期に見える村名。常陸国真壁郡のうち。応永31年8月3日の宍戸一木満里譲状に,「まかへこをりの内くほの郷并いひつかの村,同白井」と見える(人見文書/続常陸遺文)。弘安田文には記載はなく,平安末期は窪郷のうちにあり,開発により飯塚村とよばれるに至ったと思われ,この頃は宍戸氏の所領であった。もとは真壁一族飯塚氏の所領であったが,応永30年,鎌倉公方足利持氏に没収され,宍戸氏に充行われたのであろう。一時宍戸氏の支配を離れるが,享徳4年10月日付の宍戸持周申状写に,「一,同(常陸)国同(真壁)荘内飯塚郷」と見え,古河公方足利成氏に安堵されている(安得虎子/古河市史)。なお,この頃には飯塚郷とよばれていた。この翌年,享徳5年6月3日の某左衛門尉康定・前下野守義行奉書に,「常陸国真壁郡……并庶子白井修理亮・飯塚近江守等事」と見え(真壁文書/古河市史),真壁朝幹は某と所務相論の結果,係争地を折半され,永享11年朝幹に誅伐された飯塚近江守の闕所地は(平姓真壁家系),朝幹に打渡されている。これが飯塚郷にほぼあたるとすると,このときの相論相手は宍戸氏と思われるが未詳。永禄2年6月1日,真壁久幹は「名字之地廿余郷」を古河公方足利義氏から安堵されており,戦国期は真壁氏の支配下にあった(真壁文書/古河市史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271359
最終更新日:2009-03-01




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