ケータイ辞書JLogosロゴ 居切村(近世)


茨城県>神栖町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国鹿島郡のうち。はじめ佐竹氏領,寛永年間は旗本溝口氏の知行,元禄年間・幕末期ともに陸奥守山藩(明治3年松川藩となる)と旗本国領氏の相給。村高は,寛永10年「鹿島領御地頭御分地高帳」120石余,「元禄郷帳」184石余,「天保郷帳」244石余,「旧高簿」248石余。利根川東遷により,流域では洪水の危険が増した。さらに天明3年浅間山の噴火による土砂流出は河床を上昇させ,同6年の洪水は大きな被害を与えた。文化10年農民から堀割開削の願いが出されたが,明治4年に至って居切堀が完成している。寺院は真言宗照明院・宝珠院(新編常陸)。明治8年茨城県,同11年鹿島郡に所属。明治22年中島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271386
最終更新日:2009-03-01




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