ケータイ辞書JLogosロゴ 石井郷(中世)


茨城県>笠間市

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。常陸国笠間郡のうち。鎌倉期には石井原とも見える。弘安田文に「石井原七丁八段」とあるが(税所文書/県史料中世),嘉元田文では「一,同(東郡)大蔵省保六十六丁五反内……石井原四丁九反大」とあって(所三男氏所蔵文書),約5町は大蔵省保(笠間保)に属していた。笠間時朝は当地(江戸期の古町)に軍営を構え,元久2年,布引山・佐白山双方の僧坊を破却すると,佐白山南麓に城を築き笠間と称したと伝えられる(笠間城記)。しかし「尊卑分脈」によると,時朝は頼綱の弟朝業の子息で,笠間と称すとあり,文永2年に62歳で死去しているから(吾妻鏡),元久2年には2歳にすぎず,この時出陣したのは朝業と思われる。応永4年8月日の笠間家朝訴状案に,「欲早被退宝戒寺三聚院当知行,如元全知行,常陸国笠間郡十二ケ郷石井郷半分事〈残半分者御料所〉」と見え,明徳2年2月22日笠間十二ケ郷一円の安堵下文を得ていた笠間家朝は,当郷半分に対する三聚院の当知行を排除することを鎌倉府に訴えている(税所文書/県史料中世)。このころ当郷の半分は笠間氏領,残り半分は鎌倉府の御料所であった。文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す。同年,当地にあった市廛は上市毛に移され,江戸期の大町・高橋町がこれにあたるという(笠間城記)。また,永正4年に慶誉因師建立と伝える福智院,天文年間に幽玄法師開基と伝える極楽寺があった(同前)。江戸期の石井村・古町村に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271432
最終更新日:2009-03-01




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