ケータイ辞書JLogosロゴ 石上郷(古代)


茨城県>東海村

 平安期に見える郷名。「和名抄」常陸国那賀郡二十二郷の1つ。「いそのかみ」と読む説もある(勝田市史)。郷名の由来については,石に由来し,はじめ石里といったのを,二分して石上里・石下里とよび,のち石下里が石上里に吸収されて石上郷となったという説(新編常陸),仁賢天皇のとき石上広高宮の名を取って設けられた石上部に由来するという説などがある(勝田市史)。東海村村松に部原・舟塚古墳群・真崎横穴群,同村須和間に須和間古墳群・下諏訪横穴群,同村石神内宿に石神内宿古墳群,同村豊岡に古墳時代の岡遺跡,同村石神外宿に二軒茶屋・石神外宿古墳群,同村白方に白方古墳群などがある。舟塚古墳群などの被葬者と石上部の伴造との関連を説く説もある(勝田市史)。養老3年に石城【いわき】国に設置された海道10か所の駅家に連結するために置かれ,「日本後紀」に陸奥【むつ】国の海道の駅の廃止に伴い弘仁3年に廃されたことが見える石橋駅を,「新編常陸」は水戸市東前町に比定するが,東海村豊岡の小字に石橋があり,この地を駅家跡に比定する説が多い。比定地については,「郡郷考」「新編常陸」「地名辞書」などは,常北町下青山あたりに比定するが,この辺は中世は青山郷で石上郷との関連性が薄い。中世にも石神あるいは石上とよばれた東海村石神の地の方が石上郷と関係がより深いと思われ,東海村石神内宿・石神外宿・豊岡・白方・亀下・村松・照沼・須和間などを含む地域に比定するのが妥当であろう(勝田市史)。なお,「新編常陸」は,照沼あたりを久慈郡美和郷に,石神あたりを同郡神前郷に入れている。このあたりが,古代には,久慈郡ではなく那賀郡に属したことは,照沼・村松・白方の地が平安中期に那賀郡より分離した吉田郡に属し,古代の那賀郡の北限が久慈川下流南岸の白方・石神などの地であったと推定されることからも確認できる(同前)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271449
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ