ケータイ辞書JLogosロゴ 磯浜村(近世)


茨城県>大洗町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ常陸国茨城郡,元禄年間からは鹿島郡のうち。延宝7年宮田村が改称。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,「元禄郷帳」では古くは宮田村として1,071石余,「天保郷帳」1,195石余,「旧高簿」1,202石余。検地は天保13年。「新編常陸」によれば,戸数は,元禄15年600余,天保5年868。「水府志料」によれば,浜田組に属し,戸数841,村の規模は東西25町余・南北25町余,漁業が盛んで人口が多く,渡し場が那珂川・涸沼川に1か所ずつある。社寺は大洗磯前神社・天妃山姨祖権現・天台宗西福寺など(新編常陸)。元禄元年願入寺領沖の州を当村に寄進し,磐船町(のち祝町と改称)となる。元禄8年徳川光圀は,祝町に茶屋および妓楼5軒の開業を許可,享保12年廃止され,延享4年再開。文化10年領内船の他領内河岸接岸または役銭・入津を禁止。嘉永6年原新田を開墾(現二葉町)。攘夷政策により,天保5年日下ケ塚近隣に海防陣屋,弘化元年祝町海岸に御台場を設ける。天狗党の乱により磯浜・大貫の村落の大半および願入寺焼失。願入寺は明治9年再建。明治8年茨城県,同11年東茨城郡に所属。同6年大洗尋常小学校を桂町に,分校を祝町に開校。同8年,石井藤助は那珂川商船「那珂川丸」を創業(大洗のあらまし)。明治22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271539
最終更新日:2009-03-01




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