ケータイ辞書JLogosロゴ 磯部郷(中世)


茨城県>岩瀬町

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。常陸国中郡荘のうち。鹿島社領。弘長元年12月22日の関東御教書に,「常陸国中郡庄内磯部郷半分預所高重嫡女大中臣氏申,継母押領当職由事,訴状〈副具書〉遣之」と見える(鹿島神宮文書/県史料中世)。「中郡庄内鹿島神領磯部郷預所職」は磯部禰宜とよばれた「大中臣氏相伝所領」であり,成親の後家から子息能行・高重に譲与されたが,高重の死去後,その娘辰石と,高重後家(辰石の継母)ならびに娘犬石・毘沙石との間で所務相論が起こり,その結果幕府は弘長3年3月13日の関東下知状により,高重の自筆の譲状をもとに「磯部郷半分預所職」を犬石・毘沙石らに安堵している(塙不二丸氏所蔵文書/県史料中世)。こののち文永5年にも高重遺領をめぐり高重嫡子土用王と高重後家の相論が起こり,同年11月17日中郡荘の地頭安達泰盛は土用王の重訴状に対する答弁書の提出を後家に命じている(鹿島神宮文書/県史料中世)。室町期になると鹿島社大禰宜家の所領となり,文安6年8月12日,中臣氏親から嫡子毘沙一丸に譲与されている(同前)。戦国期は宇都宮氏の支配下にあり,磯辺社神官磯辺氏も宇都宮氏へ軍役を勤めていたが,結城氏の攻撃により社は放火され,嘉五郎は討死にし,その父善七郎は結城氏に生け捕られたが赦免され,前々の通り神職を勤めたという(磯辺明神由緒書/常陸遺文)。文禄3年の太閤検地を機に西那珂郡に属す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271546
最終更新日:2009-03-01




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