ケータイ辞書JLogosロゴ 板橋村(近世)


茨城県>伊奈町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国筑波郡のうち。低地は谷原領3万石の一部として開発された。幕府領,幕末期は上野【こうずけ】前橋藩と旗本跡部氏の相給。村高は,「元禄郷帳」1,368石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに1,374石余。用水は小貝川を水源として福岡堰から取水する台通用水によった。寛政年間〜文化年間の幕府代官岡田清助(寒泉)は善政を施し,領民から慕われ天保4年に181か村の領民が当村の不動院境内に功徳碑を建てた。地内の真言宗不動院は朱印地20石を有し,ほかに曹洞宗永寿院,鎮守の八坂神社がある。内町・西町・古宿・開場・五反田の5坪がある。慶応2年に大火があった。明治8年茨城県,同11年筑波郡に所属。「共武政表」によれば,戸数145・人口836・馬48,主な産物は米・麦・大豆。明治22年板橋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271571
最終更新日:2009-03-01




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