ケータイ辞書JLogosロゴ 市崎村(近世)


茨城県>東町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国河内郡のうち。慶長11年陸奥仙台藩領,元禄年間・幕末期ともに幕府領。村高は,慶長11年「常州知行目録」423石余(伊達家文書10/大日古),「元禄郷帳」636石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに686石余。寺社は,天台宗医王寺・延命寺,三峰神社・淡島神社。三峰神社は永徳年間に勧請されたといい,のち菅原神社・見田神社・大山祇神社・保食神社を合併したという。二ツ島は,平須沼の中央にあった2つの島に由来するという。一方の島にはもろ葉葦が,他方の島には片葉葦が生え,その浦を男女【おめ】の浦と称した。また古来から神崎明神の屋根葺替えには両島の葦が使用されるという。民俗行事には,その年に収穫した小麦で団子やうどんを作り,新しいススキの茎で箸を作り神前に供える新箸祇園【にえばしぎおん】がある。明治8年茨城県,同11年河内郡に所属。明治22年大須賀村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271588
最終更新日:2009-03-01




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