ケータイ辞書JLogosロゴ 一ノ谷村(近世)


茨城県>境町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」104石余,「天保郷帳」149石余,「旧高簿」156石余,「旧高旧領」149石余。文化3年の家数28(猿島上郷窮民永救録趣法書)。鹿狩の勢子は,享保10年・同12年・寛政7年・嘉永2年に毎度出役し,寛政7年は16人を出した。嘉永2年は三の手に属し,利根川右岸中里村(千葉県)から布施村(千葉県)まで陣し,下総国葛飾郡小金原(千葉県)に猪鹿を追い込んでいる。三の手1,000人は酒4樽,1人1合5勺で慰労された。助郷は,享保11年・同13年・天保14年の将軍日光社参に境宿・谷貝宿に人馬を出した。慶応4年会津戦争に伴う新政府軍送迎のため境宿・谷貝宿に人馬を出す。嘉永6年米艦来航に際して農兵調練を行い,翌年はその費用を負担している。普請は寛政2年長谷と長須間の千間堤破損の際や,嘉永3年小山高台繰抜に人夫を出し,嘉永4年の小山逆留普請にも人夫21人を出している(上出島真中家文書)。寺院は浄土真宗妙安寺,鎮守は香取神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年森戸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271600
最終更新日:2009-03-01




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