ケータイ辞書JLogosロゴ 稲穂郷(中世)


茨城県>境町

 戦国期に見える郷名。下総国上幸島【かみさしま】のうち。永正年間と推定される年月日未詳の足利政氏書状案に「又いなほへの通路しかとせられ候ハゝ可然候,返々此儀専一候……稲穂之事堅固候者,凶事可為必定候」と見え,小山持政に申し送っている(松平基則氏所蔵文書/栃木県史)。天文23年11月,古河公方足利晴氏は藤氏と結び小田原北条氏と対立したが敗れた。その直後の12月24日に野田左衛門大夫充の足利義氏(梅千代王丸)朱印状が出され,「先御落居之地廿五郷」のうちに「稲穂」と見える(野田家文書/古河市史)。義氏の政治的背景には小田原北条氏がおり,その容認のもとで義氏は朱印状を発給し家臣団の編成につとめた。天正2年と推定される12月2日の垪和康忠充芳春院周興・昌寿連署書状写に「いなを 同人(野田三郎)」と見える(喜連川家料所記/古河市史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271614
最終更新日:2009-03-01




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