ケータイ辞書JLogosロゴ 稲田郷(中世)


茨城県>笠間市

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。常陸国笠間郡のうち。弘安田文に「稲田社十七丁小」と見え(税所文書/県史料中世),嘉元田文には「稲田八丁六十分」とある(所三男氏所蔵文書)。稲田神社は,治承3年5月日の常陸国総社造営注文案に「御経蔵一宇参間 稲田社」と見え,総社御経蔵造営役を負担している(常陸国総社宮文書/県史料中世)。また,正嘉2年11月1日から正元元年8月15日前後の成立といわれる「新和歌集」には,笠間城主笠間時朝らが稲田姫社で詠じたという和歌が多数収録されている(群書10)。建保2年,親鸞は「越後国ヨリ常陸国ニ越テ,笠間郡稲田郷トイフトコロニ隠居シタマフ」と伝えられ(本願寺聖人親鸞伝絵/続群9上),西念寺は稲田草庵の跡という。親鸞は当地で「教行信証」を書きつづったといわれ,康永3年10月27日書写の親鸞門侶交名牒に見える「頼重 常陸笠間住,号稲田九郎」を(浦和市史),西念寺では親鸞の弟子となって教養坊といったと伝えており,「末燈鈔」9通,5月5日付消息の充所に,「教名御房」(別本「けうやう」)と見える(親鸞集/古典大系)。当郷は笠間十二ケ郷の1郷で,笠間氏の所領であった(税所文書/県史料中世)。文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す。江戸期の上稲田村・下稲田村にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271626
最終更新日:2009-03-01




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