ケータイ辞書JLogosロゴ 井野村(近世)


茨城県>取手市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国相馬郡のうち。はじめ雁村と称した。江戸初期は井野・台宿・青柳・吉田・桑原・毛有・長兵衛新田を総称し,井野7か村と称したという(北相馬郡志)。寛文4年佐倉藩領,正徳年間幕府領,享保3年関宿藩領,同8年関宿藩と幕府の相給,明和7年旗本久世氏と幕府の相給,天明8年再び関宿藩と幕府の相給,文政4年関宿藩・幕府・旗本津田氏の相給を経て,慶応2年からは関宿藩・幕府・旗本津田氏・同野村氏の相給。村高は,「元禄郷帳」1,530石余,「天保郷帳」1,589石余,「旧高簿」1,585石余,「旧高旧領」1,589石余。宝永2年から幕府の藺草栽培地に指定され独占的に買い上げられたが,安永5年からは江戸の灯心製造者との取引契約量以外の残り藺草については村方で独自に灯心を製造することが公認される。天保13〜14年には,当村の1農民が幕府の株仲間解散令を問屋を経由しなくともよい灯心売買の自由化と考え,江戸市中に直接売り込んで訴えられた。利根川沿いの字小堀【おおほり】は,諸藩などの大船が渇水で航行不能のとき積荷をはしけ船に積み替えて浅瀬をのぼる中継港として繁栄した。問屋が7軒あり,付近の住民もほとんど船稼に従事していた。この小堀河岸は,幕府の元禄年間・安永年間の河岸吟味にも書き上げられた。地内の真言宗普門院・昌松寺は,もと台地上(井野台)にあったが,延宝元年の火災ののち,低地(現在地)に移転したと伝える。普門院は応永30年,昌松寺は天文年間の創建という。隠居寺として,普門院には東光院・一乗院・神宮寺,昌松寺には東福院・金剛院・万蔵院があり,これらを井野八寺と総称した。神社は天正元年創建という天満神社(台宿村地内),小堀には,寛文8年創立の水神宮,明暦元年岡村から移転した常円寺がある。慶応2年の家数253・人数1,462。明治8年茨城県,同11年北相馬郡に所属。「共武政表」によれば,小堀河岸の戸数176・人口800,100石以下の日本形船49。同17年地内小堀を小堀村として分村。明治22年井野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271656
最終更新日:2009-03-01




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