ケータイ辞書JLogosロゴ 岩間郷(中世)


茨城県>岩間町

 南北朝期〜室町期に見える郷名。常陸国宍戸荘のうち。鎌倉期は宍戸氏の支配下にあり,鎌倉後期,宍戸家宗の長子知宗は,当郷に居住して岩間氏を称したという(新編常陸)。嘉慶2年6月日の高麗清義軍忠状に「同(八月)廿日岩間御陣」「五月十二日男躰城切岸御陣取」「同十八日城攻」と見え,男躰山(難台山)に要害を構えていた小田孝朝らを「退治」するため,嘉慶元年,足利氏満は上杉朝宗を発向させ,翌年5月18日,城を攻落している(新編武州古文書)。永享7年8月9日の常陸国冨有仁注文写に「宍戸庄内 一,岩間郷 黒田左衛門太郎 竜崎弾正少弼知行」と見え,当郷を竜崎氏が知行し,黒田左衛門太郎という富有の人がいた(続常陸遺文)。文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す。江戸期の岩間上郷・岩間下郷,現在の岩間町上郷・下郷に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271739
最終更新日:2009-03-01




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