ケータイ辞書JLogosロゴ 牛渡村(近世)


茨城県>霞ケ浦町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国新治郡のうち。はじめ佐竹氏領,元禄年間は幕府と旗本佐橋氏の相給,幕末期は旗本佐橋氏・新庄氏ほか3氏の相給。村高は,「元禄郷帳」1,830石余,「天保郷帳」1,835石余,「旧高簿」1,833石余,「旧高旧領」1,836石余。助郷は加助郷のほかに将軍日光社参の時の寄人馬徴収の賦役があり,古河宿まで出役(出島村史)。幕府領・旗本知行地の年貢米を当村と柏崎村・有河村の2,3の河岸を利用して江戸へ送った。当地は霞ケ浦から江戸への水路にあたり,貨物を取り扱う問屋が栄えた。霞ケ浦四十八津の一つで,当村の津頭には房中村仁左衛門と見える。文化13年霞ケ浦沿岸107か村に対し「州浚い」の命が出されたが,当村を含む90か村は拒否した。文政5年土浦藩領田村の名主大川源左衛門が老中水野出羽守に越訴し,州浚い・定浚いの人足御免となった(同前)。医師山本貞淳は明和5年当村に生まれ,小川稽医館の草創期の医生となり,著書に「橘黄医談」がある。天保12年没。その子豊(太年)が後を継ぎ,家塾も開いた(出島村史)。寺院は真言宗東雲寺・長栄寺・千体寺・専光院・地蔵院・円専院・正智院・法性院,神社は鹿島明神(新編常陸)。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。同10年牛渡小学校創立。同14年樹芸社が拝借した官有原野に当地も含まれていた(出島村史)。明治22年牛渡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271799
最終更新日:2009-03-01




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