ケータイ辞書JLogosロゴ 内門村(近世)


茨城県>境町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関所藩領。村高は,「元禄郷帳」177石余,「天保郷帳」287石余,「旧高簿」313石,「旧高旧領」287石余。文化3年の家数93(猿島上郷窮民永救録趣法書)。鹿狩の勢子は享保10年・同12年・寛政7年・嘉永2年のたびに出役した。助郷は,将軍日光社参の享保11年・同13年・天保14年のほか,日光法会,大名の大通行には境宿・谷貝宿に出役した。寛政10年は中田宿の加助郷として出役。また臨時・非常時の助郷役も勤めた。慶応4年会津戦争に伴う新政府軍送迎に際しては境宿・谷貝宿に人馬を出した。地内に幕府の馬牧である大野銭場がある。大野銭場には馬を雨雪から保護し,日影を与えるために植林がなされ,その材木は御台場造営に境河岸から積み出された(境小松原家文書)。寺社は,浄土宗大翁寺・鷲神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年猿島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271813
最終更新日:2009-03-01




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