ケータイ辞書JLogosロゴ 内ノ山村(近世)


茨城県>猿島町

 江戸期〜明治22年の村名。猿島【さしま】郡のうち。寛文4年沓掛村から分村。幕府領。村高は,「旧高簿」で内ノ山分として343石余,ほかに内ノ山分新田244石余。神社に松崎天神・大杉神社がある。元禄13年8月関宿藩の巡検奉行が松崎天神に鳥居がないのをみて村民に建立を命じた。享和3年の家数99・人口471,馬数18,天保14年の家数87・人数403。天保9年農間渡世書上帳によれば,内野山分新田共として,高574石余,家数88(うち農業一統渡世78・農間商い渡世10)・人数412(県史料近世社会経済編)。同12年の家数88,うち質屋2・居酒屋2・豆腐油揚屋2・下駄屋1。文化9年諸川宿の助郷を勤める。元文3年と文久3年は古河宿・野木宿(栃木県)の代助郷を勤める(諸川中村夫家文書)。嘉永2年の鹿狩には勢子を出し,小金原中野牧(千葉県)まで追い込み総勢で猪122匹・鹿29匹を捕らえた。元治元年の天狗党騒動には代官北条平次郎の命で9人の農兵を出した。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年沓掛村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271822
最終更新日:2009-03-01




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