ケータイ辞書JLogosロゴ 茨城郷(古代)


茨城県>石岡市

奈良期〜平安期に見える郷名「和名抄」常陸国茨城郡十八郷の1つ常陸国府,常陸国分寺・国分尼寺,茨城郡衙,茨城郡寺などが置かれ,古代の常陸国における政治・経済・文化の中枢の地であった地名の由来については,「風土記」に先住民征服にちなむという地名説話が記されているまた同書に,「郡より西南のかた,近く河間あり信筑の川(恋瀬川)と謂ふ源は筑波の山より出で,西より東に流れ,郡の中を経歴【へめぐ】りて,高浜の海に入る」とある「高浜」の地は現在の石岡市高浜町にあたる国府に最も近い景勝地で,「三夏の熱き朝,九陽の煎れる夕は,友を嘯【よ】び僕【やつこ】を率て,浜曲に竝び坐て,海中を騁望【みはる】かす波の気,稍扇げば,暑さを避くる者は鬱陶【おぼほ】しき煩ひを【はら】ひ,岡の陰,徐に傾けば,凉しさを追ふ者は歓然【よろこば】しき意を軫【うご】かす」などと見える沿岸は春には多くの花が咲き乱れてうぐいすが鳴き,秋には紅葉が美しく鶴が渚におりたち,男女は浜に集まり,商人や農民は小舟に乗って往来したとある「新編常陸」は江戸期の「府中・市川・大砂新田・根本・田中・大砂・四ケ村・田木谷・高浜・中津川」などに比定し,府中のうちの茨城を遺称地とする「地名辞書」は,旧石岡町・高浜村にあてる国府跡,国分寺跡・国分尼寺跡が石岡市中心部にみられ,郡衙跡・郡寺跡もこの付近と考えられる近年,小目代廃寺跡から鋸歯文縁単弁十六葉花文軒丸瓦・四重弧文軒平瓦,素縁単弁二十葉・十八葉・八葉花文軒丸瓦や素縁複弁十葉花文軒丸瓦・唐草文軒平瓦,単縁単弁八葉花文軒丸瓦が出土しているまた同市鹿の子の鹿の子遺跡からは漆紙文書が出土したほか,同市北根本に舟塚山古墳・愛宕山古墳,同市高浜に高浜A遺跡(土師器)・対馬塚古墳,同市中津川に大日如来古墳,同市東田中にぜんぶ塚古墳,同市貝地に貝地遺跡(土師器),同市兵崎に兵崎遺跡(土師器),同市山王台に山王台遺跡・石岡一高付近遺跡(土師器),同市東之辻に東ノ辻遺跡(土師器),同市泉町に泉台遺跡(土師器・須恵器),同市宮部に宮部遺跡(土師器),同市曲松に曲松遺跡(土師器),同市元真地に元真地遺跡(土師器),同市荒金に荒金遺跡(土師器),同市染谷に染谷古墳群,同市柏原に柏原A・同B遺跡(土師器),千代田町粟田に堂地古墳群・粟田遺跡(土師器)などが恋瀬川左岸台地の石岡市街地を中心として数多く点在する現在の石岡市一帯に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271837
最終更新日:2009-03-01




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