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「裏町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

裏町(近世)


江戸期~明治11年の町名笠間城下の1町表町の西裏に位置し,表町と並行に南北にのびる表街道に対し裏道を意味し,町名となる町の規模は,桜町時習館裏から下市毛村土橋ま...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7271852]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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裏町(近世)

江戸期~明治22年の町名江戸期は宇都宮城下町の1町(宇都宮市史)宇都宮発生の地といわれる池上町から分かれて成立した池上町の裏町に位置したため江戸期においては池上裏町とも呼ばれた西に小伝馬町,南に池上町と続き,また町東端の釜川にかかる座頭橋を通じて粉河寺門前へと通した江戸初期から地子免許元文年間町方書上帳によれば池上裏町と見え,名主勘兵衛・勘右衛門,町並みは東西長さ2町8間2尺・道幅2間2尺,町家は南側38軒・北側25軒(門前は寺社分),うち本家32軒・小割家58軒,木戸3か所・番所3か所,町高は63石余(県史近世1)明和8年町方書上帳には裏町と見え,家数69軒,この坪数663坪余,会所坊寺院として真言宗観行院があった(宇都宮市史)町内には水車屋・青物商が多いなお,寛政年間の諸職人諸商人留によれば,糀屋1・大工1が見える(同前)また,寛政8年宇都宮宿役馬町割覚によれば,大町組に属し,馬3疋を負担する(県史近世2)「旧高旧領」では池上裏町として町高4斗余と見える明治22年宇都宮町泉町となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

裏町(近世)
 江戸期~明治16年頃の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

裏町(近世)
江戸期~明治4年の町名江戸期は出石【いずし】城下の1町出石川支流旧谷山川下流域町名の由来は,江戸期に当町を管轄した名主のいた宵田町の裏に当たることによる地内東部と北側は旧谷山川が流れ,武家の居住区鉄砲町に対し,南は宵田町,西は田結庄【たいのしよう】町に続く主軸をなす町並みは,東西の長さ1町23間・幅3間余,中央に幅2尺余の溝川があった東部には長さ19間半・幅1間余の小路があり,牢屋敷に通じていた中央部には南北に長さ11間・幅1間の横町があり,鉄砲町の町並みへと続き,さらに城下の北正面の構口へと通じていた文化7年の家数67うち下級藩士15(出石御城下絵図)商人も多く鍋屋(鋳物製品販売商)・桶屋各3,紺屋2が目立ち,ヤカン屋・ギボシ屋・アメ屋などの職種もあった文政6年地内中央部から出火し,烈しい南風で地内と鉄砲町は全焼,田結庄町・川原町横町にも延焼,家屋269を焼失鎮火後地震が襲い,その日の夜から雨が降り,翌朝には大風雨となった(御用部屋日記)明治4年出石宵田町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

裏町(近世)
江戸期~明治初期の町名丹波国船井郡園部村のうち園部城下の1町園部川右岸に位置する「船井郡誌」によると上ノ町から下浄教寺まで3町46間に及ぶ地域川沿いに藩倉が設置されている寺院に慶長15年創建と伝える真宗浄教寺があり(寺社類集),寺内には文政期より廃藩時まで山内覚了・同覚道らを教師とする寺子屋が設けられていたまた当町の竹中東司宅でも嘉永年間から廃藩時まで寺子屋が開かれているさらに竹中虎之丞宅・木下藤太宅・神田源治宅には女子裁縫場が開設され,庶子教育の場となっていた当町の園部村支配の河原では花角力・万歳・芝居などが催され,領民の慰安となったほか祝儀や木戸銭は年貢の補充にしている水天宮は幕末期当町民が園部村支配の河原を貸りうけて祀ったもの安永8年家別間口改帳によると家数83明治初期になって若松町と改称...

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裏町(近世)
江戸期~明治初年の町名小浜町の1町地勢的位置から見て,本町に対応してつけられた町名と思われる大津町・本町・松本町・魚屋町・塩屋町・洲崎町の各町と接している(拾椎雑話)寛永17年の夫代銀では下町に位置付けられ,坪あたり1分2厘5毛とされている(江口夫右衛門覚書)また,嘉永元年の願文証文并諸事控では区分が東・中・西に変わるが,ここでは東に格付けされているなお,寛文11年藩主の前で,上小路とともに一番笠鉾の祇園会の練物を,また,延宝7年にも一番として笠鉾の練物を上小路とともに出している寛永4年10月4日正午過ぎに地震があり,当町で2軒の家が倒壊している享保4年7月1日の大火では当町も類焼した(拾椎雑話)明治初年北本町と改称...

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裏町(近世)
江戸期の町名山城国久世【くぜ】郡宇治郷のうち宇治郷の南部を東西走する本町通に面して形成された町で,同通りの別称でもある町名として史料にあらわれるのは寛文12年の宇治郷中触状請書のみであるが(上林久一家文書),享保年間に描かれた宇治郷総絵図には当町の位置する付近に数筆の宅地の記載があり若干の民家の存在が認められる(宇治市役所所蔵文書)町名はその後消滅して公称されなかったものと考えられる裏町付近に家屋が連担するのは近年のことで,現在は小字壱番の一部となり,元薬師町の西方,元四番町・折居道町の東方に位置する町並みが裏町と通称されている...

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裏町(近世)
江戸期の町名大洲【おおず】城下の町名の1つ城下の南端にあり,本町・中町と並行する東西の通りで裏通りにあたる長さ3町足らず,本町・中町よりは短い寛永20年の「大津惣町中之絵図」(大洲町役場旧蔵)によれば,町の北側に20軒,南側に32軒の町家があった慶安4年の「大洲町十人組帳」(菅菊太郎氏所蔵)によれば,72人の町人が7つの十人組に分かれていた幕末期の「大洲町内図」(滝正市氏所蔵)によれば,戸数43,町人で姓のあるものが10人を数えた明治以降末広町と改称したと思われる末広町は現在の大洲市大字大洲のうちの通称として残る...

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裏町(近世)
江戸期~明治11年の町名江戸期は府中(厳原【いずはら】)城下のうち宮谷にあり,馬場筋通りの裏側(西側)にある町人町で,上裏町と下裏町に分かれている上裏町は,以前は茶屋町と称した「万治の頃から成相観音の参道に当るこの通りに六十人見せ店を仮に出し,色々の品を売りし事あり,これらの事にて茶屋町といい初めし事にや」とある(楽郊紀聞)のちに上裏町は武家屋敷町となる下裏町は商店街として発達した上裏町・下裏町を合わせて全長約400m明治2年の戸数37(県史藩政編)明治11年田渕町・大手橋町に合併...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

裏町(近世)
江戸期~明治22年の町名下館城下の1町,下町のうち町人地下館城の南に位置し,町筋は田町の南に平行して東西にのび,東は戸外町に接する町名は,田町を下町の本通りとし,その南(裏)に位置することに由来するという(下館市史)寛永16年の町人屋敷1軒前は表口6間・奥行15間(田宮家文書/下館市史)江戸中期の通りの長さは木戸から桜町木戸までの168間(同前)明治22年下館町下館の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

裏町(近世)
江戸期の町名刈谷城下の1町南横町の南のはずれから,中町・末【すそ】町の境目に通ずる道に沿った町で,刈谷街道の裏側にあるのでこの名がある弘化5年の家数13明治4年の廃藩置県により刈谷城下が刈谷村の一部になるに伴い,当町も刈谷村の一部となるその後も通称町名として存続したが,昭和初年葭池町・中根町の各一部となり消滅現在の刈谷市広小路の一部にあたる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

裏町(近世)
江戸期の汎称町名八戸城下のうちで,町人地城下の南部,裏道の両側に沿って東西にのびる下大工町・十一日町・朔日【ついたち】町・六日町・十六日町・廿六日町,およびその南の寺横町・大工町を総称した...

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