ケータイ辞書JLogosロゴ 上町(近世)


茨城県>水戸市

江戸期の水戸城下の町名常陸国茨城郡のうち那珂川下流右岸に位置する水戸城下を二分したうちの1つ上市【うわいち】ともいう洪積台地の先端に開かれ,名の起こりは慶長・元和頃と思われるが,よび方と区画が判然としたのは,寛永2年に田町(下町)が拡張されたあとである(水戸市史)「新編常陸」によれば,当町に所属する町名は,三之丸・西柵町・柵町横町・銀杏町・元白銀町・田見小路・大町・中町・南町・裏南町・藤沢小路・梅香・黒羽町・大坂町・神応町・西町・幸町・備前町・竈神町・神崎町・天王町・天王横町・鳥見町・裏鳥見町・裏八王子町・荒木町・富士山町・五軒町・袋町・撞木辻・信願寺町・裏信願寺町・与力町・並松町・桜町・本寺町・本寺町後町・新屋敷・御宮下町・奈良屋町・和正院町・上金町・下金町・鉄炮町・泉町・泉町片町・本大工町・馬口労町・馬口労片町・向井町・向井町片町・北之横町・南之横町・久保町・泉蔵院横町町割は,三之丸および西柵町,紀州堀以東,紀州堀以西,大工町・光台町(並松町)の外堀以西の4地域に分けられる三之丸の町割を三分する形で,2本の幹線道路が東西に貫く北側の道路は,田見小路から上・下金町を経て馬口労町に至り,南側の道路は南見付から南町・泉町・大工町に至る紀州堀以東が武家屋敷,紀州堀以西が町屋敷にあてられた街区は矩形に区画されながらも,東部に狭く,西部に広いため,西に行くにつれて形はゆがめられている(水戸市史)武家屋敷・町屋敷が併存し,武家屋敷の機能が大きい(同前)元禄・宝永年間頃までは,藩の流通経済の中心として繁栄したが,享保年間頃には衰えた市日も平日と変わらなくなり,人々は近郊農村の耕作をして商売の不足を補ったという享保11年には在方商いの停止と城下町商いの保護を求める訴状が,上町・下町17か町の名主を代表として藩に提出されている藩の御用金取りたてでは,文政11年,当町に2年間で512両もの上納を命じているこれに対して町では,町役人が寄合いを開いて各自の割当額の変更を申し出た天保10年馬口労町1丁目から出火した火事は,2丁目に延焼し,3丁目との間で鎮火した天保13年頃の調べによれば,当町の町方は36町で,軒数は900軒同14年3月町奉行制が廃止され,城下町は郡奉行の支配下に移管された(水戸市史)明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属明治22年当町域は水戸市上市となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271873
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ