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「江戸町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

江戸町(近世~近代)


江戸期~昭和51年の町名江戸期は水戸城下下町の1町明治22年からは水戸市下市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名水戸城の南東に位置する町人町「新編常陸」によれば...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7271893]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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江戸町(近世~近代)

江戸期~現在の町名明治初年~明治22年は関宿を冠称江戸期は関宿城下町の1つ明治22年からは関宿町の町名町高は,「元禄郷帳」261石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに338石余天保年間の貢租は米7石余,永51貫406文余関宿城下武家屋敷の南にかけて,日光東往還沿いに鉤手状に町屋が形成され,台町とともに町人町の中核をなし,地内に日光東往還関宿宿が置かれた当地は江戸川・逆川の合流点にあたり,江戸期から内河岸・行人河岸の2河岸があって,水運の要衝として栄えた幕末期には3軒の積荷問屋のほか船夫・船曳人足の家が軒を並べ,明治4年その戸数は58であった(関宿志)また,五霞村江川(現茨城県)との間の紺屋渡し,向河岸(現埼玉県)との間の関所渡しの渡船場があり,当地北端に江戸川への流水量調節の東棒出しがあった町人町であったが,17世紀中頃には藩校養正堂,幕末期には江戸から引き上げた藩士家族のための下屋敷が建設されている寺院には,慶安元年藩主牧野信成建立の浄土宗清信寺,関宿城大手門鎮護の真言宗福寿院がある神社は香取神社とその末社牛頭天王社香取神社の祇園祭は近在にまれなにぎわいを呈したという(世喜宿土産)明治7年江戸町郵便局開局同8年の戸数213・人数1,044(木間ケ瀬小沼家文書)同10年内国通運上川航路東関宿発着所設置(加藤船宿)同11年松戸警察署関宿分署設置明治24年の戸数158・人口1,100,船68同28年地内の江戸川以西を埼玉県豊岡村,権現堂川以北を茨城県五霞村に編入明治44年~昭和4年の利根川・江戸川改修工事により,鎮守香取神社を含む家屋が,昭和24年からの改修工事では地内の半分以上が江戸川河川敷下となる昭和7年埼玉県西関宿との間に船橋が架けられた同39年関宿橋竣工大正12年の戸数118,うち農業76・商業20・工業9・その他13世帯数・人口は,昭和30年82・418,同40年58・290

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

江戸町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は飯田城下の一町で,武家町明治8年飯田町,昭和12年飯田市飯田の通称町名となり,同27年からは同市の正式町名飯田城の北,伝馬町1~2丁目の境を直交し,東方に長い町並み町名の由来は,伝馬町に近接して江戸詰めの藩士が住んでいたところがらとされる成立は京極高知時代とみられ,脇坂氏時代の絵図(下伊那教育会蔵)には町名が見える家老職をはじめ上役の屋敷があった脇坂家中屋鋪分限録(矢沢氏蔵文書)によると,正保年間,800石江戸家老池田外記・500石中村作左衛門・同脇坂右衛門兵衛・同布施隼人ほか20人の屋敷がある文化2年の堀氏御屋敷順覚(同前)による侍屋敷28町の北側に曹洞宗正永寺がある文禄3年京極高知により上飯田村正永寺原から移された同寺は,出家して名を正永とした旧飯田城主坂西由政を葬った寺で,飯田城下の町づくりのため移転させたほかに慶長8年飯沼村から移転の曹洞宗専照寺,島田村から移転の同宗黄梅院がある3寺の裏を空堀が通り,これより内が城下とされた大正5年当町から通称小伝馬町に至る大正新道ができ,その後,新道に日の出町と呼ばれる町屋も作られ,小伝馬町との通行が容易になり,町も大きくなった大正中期頃,飯田税務署と飯田区裁判所が移転してきて官庁街となり,代書人・税理事務所などができた昭和22年の飯田大火には伝馬町に面した1丁目にあたる所が焼失,復興に努力すると同時に,江戸町通りに市道が通るようになり,道幅も広くなり,商店も増加しにぎやかになった同27年1丁目,同56年からは1~4丁目がある同61年の世帯数146・人口444...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

江戸町(近世~近代)
江戸期~現在の町名古くは諸町と称した明治初年から同22年までは桑名を冠称江戸期は桑名城下の1町城の西に位置し,北は川口町,南は片町,西は本町に接し,東は堀に沿う町名の由来は,江戸より渡辺忠八という人が来住したことによるといわれる(桑府名勝志)東海道筋に位置し,江戸初期には本陣1,天保年間には脇本陣3があった元禄年間の軒数35(元禄家帳/桑名市史)明治8年の地積7反・地価4,687円・地租140円,同16年の戸数51,人口男89・女202で女性が多いのは宿屋・妓楼が多かったことによる明治19年の火災で町の半分が焼失した明治以降は東海道は寂れたが,桑名遊郭の中心地でありにぎわいをみせた明治22年桑名町,昭和12年からは桑名市に所属同20年の戦災で全町が焼失昭和13年の世帯数41,同33年の世帯数25・人口109...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

江戸町(近世~近代)
江戸期~昭和51年の町名古河城下18か町のうち脇町地名は,城下で一番にぎやかなところで江戸を思わせたことに由来するという町人地・寺地「古河旧記」によれば町筋は日光街道の西に垂直にのび,長さ1町58間2尺・幅5間,地子免許1町余(ほかに同町内石町1町3反余),石町とともで役屋敷72・畑屋敷7・狢塚畑屋敷2,古河宿勤往還役は石町とともで人足3人余・馬3疋余(藤懸家文書/古河市史)享保12年の家数130(井上家文書/古河市史)寺院は浄土宗正定寺なお当町は,明治22年から古河町古河,昭和25年からは古河市古河に含まれ通称町名となっていた住居表示実施により,同50年一部が古河市大手町・中央町1丁目,同51年中央町2丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

江戸町(近世~近代)
江戸期~昭和42年の町名江戸期は仙台城下町の1つ明治11年宮城県仙台区に所属同22年からは仙台市の町名仙台城下の西北部,八幡町の北裏にあり,石切町と中野横町を結ぶ元禄絵図には,この地に御大工と記入されている以後のものにも御職人などの記載が見え,安政絵図では細かな屋敷割が,たとえば「御大工坂野久治」「御大工善兵衛」などのように記されている地元の口伝によれば仙台開府の頃,江戸から召し抱えられた黒瀬清四郎政則なる棟梁を中心とした大工衆が居住町名はその出身地の名をとって江戸町とつけられたと伝え,その子孫は八幡町に住んでいたという(仙台地名考)昭和42年現行の八幡2・4丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

江戸町(近世~近代)
江戸期~昭和45年の町名・大字名江戸期は彦根の城下町の中の町名城下町の東南部の武家屋敷地域町名の由来は,寛永13年井伊道滋が江戸衆を招き居住させたことによる明治12年,座繰製糸場の厚生舎(職工32人)が設立された明治22年,犬上郡彦根町の大字となり,昭和12年に彦根市江戸町となる昭和45年,住居表示の実施により,現行の京町【きようまち】2丁目の一部となった...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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