ケータイ辞書JLogosロゴ 海老沢村(近世)


茨城県>茨城町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国鹿島郡のうち。はじめ佐竹氏領,宍戸藩領を経て正保3年からは水戸藩領。村高は,「元禄郷帳」345石余,「天保郷帳」623石余,「旧高簿」571石余。「水府志料」によれば,紅葉組に属し,戸数65,村の規模は東西11町余・南北20町余,荷受河岸があって下野【しもつけ】国・陸奥【むつ】国からの荷は当地から下吉影村へ駄送され利根川を利用して江戸へ送られたとある。河岸は涸沼に面する地の利から正保3年に開設され,明暦元年には津役所が設置された。宝永4年には水戸藩の財政再建の一環として当村から紅葉村までの運河掘削工事を開始した。しかし,工事は難行し,その負担に対して宝永6年に領内全域の農民による一揆へと発展し水戸藩の宝永改革は挫折した。なお同改革にあたって召し出された松波勘十郎がこの工事を推進したため運河は勘十郎堀とよばれたが,まもなく廃絶された。海老沢河岸は,陸奥仙台藩船など年間300艘余が入り,その他各地から寄岸するものが多く,付近の村々から陸路の貨物輸送に従事するための人馬の往来が繁く,土地は活気に満ち盛況を極めたという。代々村役人を勤め,回漕問屋をも営んだ富豪川崎家の八右衛門は慶応元年藩主に献策した藩営鋳銭座の開設に成功した。八右衛門は,のち中央財界にも進出,明治5年東京で川崎組(川崎銀行)を創設した。また水戸鉄道敷設なども行った。明治8年茨城県,同11年鹿島郡に所属。明治22年沼前村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271903
最終更新日:2009-03-01




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