ケータイ辞書JLogosロゴ 生子村(近世)


茨城県>猿島町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。はじめ関宿藩領,享保9年からは飯沼開発に伴い,幕府領。享保10年頃から村請で生子村新田が開発され,分村したと思われる。村高は,「元禄郷帳」1,157石,「天保郷帳」2,039石余,「旧高旧領」2,039石余,「旧高簿」では1,397石余。天保7年の家数は160軒であったが,同年7月18日の大風で44軒が全壊(崎房秋葉光夫家文書)。同9年農間渡世書上帳によれば,高1,377石余,家数152(うち農業一統渡世133・農間商い渡世19)・人数795(県史料近世社会経済編)。同12年の職業別軒数は,居酒屋7・豆腐油揚屋3・呉服小間物屋2・真木材木屋1・濁酒屋1(同前)。助郷は,将軍日光社参の享保13年・天保14年は日光東街道宿々の人馬役を勤め,元文3年は古河宿,野木宿(栃木県)の助郷を勤めた。天保7年は中田宿の助郷を勤めたが,若者たちが飯盛女と旅籠に遊興して村役人が迷惑したという。文久3年には古河宿,野木宿の代助郷を勤めた(北下総地方史)。慶応4年の会津戦争では新政府軍のために高100石につき1人弱の人夫役を50日間勤めた。鹿狩は享保10年・同12年・寛政7年・嘉永2年に高割の勢子を出した。八坂神社・香取神社・真言宗万蔵院がある。万蔵院では正徳元年(通説では享保13年)に猿島観音の開帳を始めたという。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年生子菅村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271906
最終更新日:2009-03-01




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