ケータイ辞書JLogosロゴ 会瀬村(近世)


茨城県>日立市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国多賀郡のうち。大瀬とも書いた。元禄11年相賀村が改称(水府志料)。水戸藩領。村高は,「元禄郷帳」では古くは相賀村とあり648石余,「天保郷帳」678石余,「旧高簿」523石余。「水府志料」によれば石神組に属し,戸数264石余,村の規模は東西15町4間・南北16町5間。天保13年の検地では,田畠76町7反余,分米523石余(新編常陸)。同14年の産物調による農作物は米・麦・小麦・大豆・小豆・粟・稈など(日立市史)。漁獲高に応じた税金高として,文化5年の7〜12月の下半期に鐚4,966貫40文,翌6年の1〜6月の上半期に鐚5,326貫440文となっている。日立地方の村々では文化6年上半期の当村の税高は最高額を示し,金に換算すると約1,332両となる。文化・文政年間頃の諸国鰹節出所番附では当村は前頭(同前)。ほかに砥石も産した。社寺は鹿島明神・真言宗福聚寺(新編常陸)。鹿島明神は元禄8年に廃され,同15年再興。明治4年茨城県,同11年多賀郡に所属。明治22年高鈴村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271914
最終更新日:2009-03-01




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