ケータイ辞書JLogosロゴ 大生郷(古代)


茨城県>潮来市

 奈良期〜平安期に見える郷名。「和名抄」常陸国行方【なめがた】郡十七郷の1つ。「風土記」に「相鹿【おうか】・大生【おおう】の里あり」と見え,倭武天皇(日本武尊)が相鹿の丘前宮にいた時,食事を作る屋舎を浦浜に作り,小舟を並べて橋の代用として食事を運んだとあり,この大炊(食事)の意味をとって大生の村と名づけたという。また同書には,后の大橘比売命が倭から降って当地へ来たので安布賀【あうか】の邑と名づけたとある。相鹿と大生とが混同されている。「新編常陸」はこれをもって,「上古ハ合シテ一里ニテアリシヲ,風土記ヲ撰バルゝ比ハ,既ニ二里トナリケレド,旧一里ナリシ故ニ,由来モ列ナレルカラニ,古来相鹿大生里ト云ヒナレシマゝニ注セシト見エタリ」としている。現在比定地について,同書は江戸期の「大生・亀谷・水原・古高・延方」の5か村とし,「地名辞書」は旧大生原村にあてている。潮来市築地に貝塚古墳群・境原塚古墳群,同町大生に大生西古墳群,同町水原に中台古墳群,同町釜谷に田の森古墳群・釜谷古墳群・大生東古墳群や土師器を出土する松輪遺跡・屋敷遺跡,同町延方に小泉古墳などがある。現在の潮来市大生を中心に,同町釜谷・水原・築地・延方のあたりに比定される。なお,延方の地は北浦を隔てて鹿島神宮の対岸に位置する要地で,板来駅から鹿島神宮に至る駅路にあたっていた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271940
最終更新日:2009-03-01




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