ケータイ辞書JLogosロゴ 大木村(近世)


茨城県>守谷町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国相馬郡のうち。守谷藩領を経て幕府領,寛永9年旗本一色氏の知行,寛文4年大名堀田正俊領,のち元禄11年関宿藩領,延享4年4月幕府領,同年6月田安家領を経て,のち田安家と幕府の相給。村高は,「元禄郷帳」340石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに516石余。鬼怒川岸には河岸問屋があった。明治7年「一村調帳」によれば,耕宅地は反別127町9反余,戸数97・人口556,馬43,河船46。産物は鶏約270・鮭約200・鶏卵,産業は男子は農間舟稼業,婦人は農業とある。寺院は禅宗大円寺・円通庵・西宝庵,神社は六十六所神社,名主坂五左衛門が伏見神社の分霊を勧請したという保食神社がある。利根川には2か所の渡津があり,1か所は農業渡,1か所は往来渡。西の一部は寛永2年の開墾地で,大木新田と称したが,明治10年当村に合併したという(北相馬郡志)。明治8年茨城県,同11年北相馬郡に所属。明治22年大井沢村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271968
最終更新日:2009-03-01




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