ケータイ辞書JLogosロゴ 大切町(近世)


茨城県>結城市

江戸期〜明治22年の町名結城城下22か町のうち御免地外構堀,俗称御朱印堀のうちの最北隅,久保田・下妻街道の両側の家並みによって構成され,北は番匠町,南は戸張町に接する屋敷地は地子免除の特権をもっていた設立の時期は文禄年間〜慶長年間に結城秀康が新城下町を建設したとき元禄4年の結城町町中間数・家数・屋敷町歩書上帳による間数は1町(赤荻和弥家文書/結城市史)宝永5年の結城町明細帳控によれば,家数33軒,うち5軒店借・番屋1か所・紺屋1(田宮佐兵衛家文書/結城市史)宝暦5年の町村惣商人仲間議定連書帳では,鍬屋1・あら物や1・あめや1のほか5名の小商人がいた(本多新次郎家文書/結城市史)時宗阿弥陀寺は建治元年本山2世他阿真教の創建と伝える明治22年結城町結城の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271973
最終更新日:2009-03-01




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