ケータイ辞書JLogosロゴ 大串村(近世)


茨城県>水戸市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。古くは大櫛と書かれたが,元禄年間頃に改められた(水府志料)。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」762石余(ほか新田5石余),「元禄郷帳」951石余,「天保郷帳」1,038石余,「旧高簿」828石余。天保13年の検地では田畠93町余・分米783石余(新編常陸)。助郷は長岡宿に出役。「水府志料」によれば,浜田組に属し,戸数77,村の規模は東西8町余,南北21町余,秣場8町余が蓮田原という所にある。稲荷神社の祭礼に参加する大串ささらで「大同2年にお建ちある」と歌われる。天和年間に徳川光圀の命によって,村内香取神社の寄宮となる。元禄15年はもとの地すなわち現在地に移す命令が出た。遷宮式は宝永元年。社殿は水戸城へ向けてある。その造営は水戸藩財政悪化のさなかに実施された。宝永5年から水戸城下の仮殿まで出社祭礼が行われた。近隣21か村の総鎮守であったと伝える。ほかに香取神社・六所神社があり,素鵞神社(天王さん)は文化7年の創建。寺院は天台宗宝性院・浄土宗善徳寺で(新編常陸),ともに現在廃寺。宝性院で天保11年3月に下野【しもつけ】宇都宮藩の浪人鈴木忠左衛門が仇討された。御立山は村西方の通称御立山の地に10町あり,地中から人骨が出た。稲荷神社の宮座的遺制である十五人頭という組織が現在でも活動している。稲荷神社の神官人見家は寺子屋として子弟の教育にあたった。村内の柏淳平も子弟の教育を行った。明治6年大串小学校が創立され当村と島田村の児童が通学した。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治22年稲荷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271980
最終更新日:2009-03-01




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