ケータイ辞書JLogosロゴ 大口村新田(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。享保10年正月大口村名主落合彦兵衛と大口村の村民によって請け負われて開発された。幕府領。村高は,天保9年415石余(飯沼新田開発),「旧高簿」415石余,ほかに大口村新田前沼古堀分48石余。「旧高旧領」には村名が見えない。反別は53町歩。弘化4年の人数264。寛政3年鬼怒【きぬ】川氾濫時の逆流を防止するため大口村の河原新田との境に築堤した。鹿狩は寛政7年は林甚左衛門が宰領となり勢子を出し,嘉永2年にも勢子を出した。助郷は,宝暦2年は取手宿に人馬を出し,将軍日光社参の天保14年は日光東街道宿々に勤め,弘化4年には古河宿の代助郷を勤めた。元治元年天狗党騒動を鎮圧するため農兵25人を出す(馬立古矢家文書)。慶応4年新政府軍の会津出兵に伴う送迎のため仁連宿・諸川宿へ10組のうち第2組として出役。鎮守は稲荷神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治7年庄大小学校を設置。明治22年飯島村の大字大口新田となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271986
最終更新日:2009-03-01




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