ケータイ辞書JLogosロゴ 大国玉村(近世)


茨城県>大和村

 江戸期〜明治22年の村名。真壁郡のうち。慶長11年真壁藩領,寛永元年相模小田原藩領,のち幕府と旗本遠山氏・稲葉氏・多賀氏の相給。村高は,「元禄郷帳」1,885石余,「天保郷帳」2,050石余,「旧高簿」2,123石余。大国玉神社は江戸期には幕府から地内に朱印地20石が与えられ,住民に篤く信仰された。当地方は,台地と台地との間に水田が作られるいわゆる谷津田(当地方では「やとだ」とよぶ)が多く古くから農耕が営まれていたが,生産性はあまり高くなかった。隣村青木村の尊徳仕法の成果に刺激され,安政元年9月当村の小前百姓が名主の不正を追及して領主多賀氏に強訴する事件が起こり,一時は領主の圧力に屈したものの翌安政2年再び百姓一揆が起こっている。寺院は,天台宗弥勒院・真言宗成徳院・同延命院(新編常陸)。明治4年茨城県,同11年真壁郡に所属。明治9年真壁地方に起こった地租改正反対の農民一揆に当村の農民も多数参加し,大国玉神社境内に集まり,地租の引き下げなどを要求した。事件後当村の農民4名が逮捕されている。明治22年大国村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271989
最終更新日:2009-03-01




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