ケータイ辞書JLogosロゴ 大崎村(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。旗本一色氏知行,享保10年からは飯沼開発に伴い関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」302石余,「天保郷帳」334石余,「旧高簿」353石余,「旧高旧領」334石余。文政6年の村明細帳では,高334石余,家数52・人数197,馬12(大崎椎名家文書)。助郷は享保13年・天保14年の将軍日光社参に日光東街道境宿・谷貝宿に人馬を出した。宝暦2年には取手宿の加助郷,天保7年には中田宿の代助郷を勤める。元治元年関宿藩主が天狗党騒動のため水戸表へ出陣した時には人足を出した(矢作富山本家文書)。慶応4年新政府軍の会津出兵に伴う送迎に際して日光東街道宿々に人馬を出す。鹿狩は享保11年・寛政7年・嘉永2年ともに勢子を出した。鎮守は香取神社,ほかに皇産霊神社・天神社。寺院は天台宗清雄寺別院。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年七郷村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272006
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ