ケータイ辞書JLogosロゴ 太田村(近世)


茨城県>つくば市

江戸期〜明治11年の村名常陸国筑波郡のうち桜川中流左岸の沖積地に位置する自然堤防のわずかの高みに立地し,中世小田村の一部として発達した地名は戦国末期の領主梶原政景の旧姓太田に由来するという(長島尉信:小田考)元和2年小田村から分村元和2年幕府領,慶安7年からは土浦藩領村高は,元和2年390石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高簿」ともに390石余家数は,寛永17年本百姓23・水呑7,享保6年本百姓45・水呑9・寺2があり,人数316で,紺屋・畳刺・医師・山伏・道心が1人ずつと僧3人,馬30疋がいた(村差出帳)安永4年の戸数52・人口272桜川上流の君島村境に小田村などと共同して取水堰を設けて灌漑した桜川の氾濫により冠水の被害をたびたび受けた天台宗神宮寺と真言宗光蔵院とがあったが無住の時が多かった幕末には光蔵院の僧が寺子屋を開いた安政3年質屋4・穀物商4・居酒屋6・小間物雑貨商4・林木商1・諸職人3の農間渡世人がいた(関家文書)明治8年茨城県,同11年筑波郡に所属主な産物は米・麦・大豆・綿花(太田村物産表)明治11年北太田村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272080
最終更新日:2009-03-01




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