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- 大足村(近世)とは
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![]() | 大足村(近世) 江戸期~明治11年の村名尾張国知多郡のうち知多半島のほぼ中央部,東は知多湾に面する尾張藩領鳴海代官所支配村高は,「寛文郷帳」485石余,「天保郷帳」549石余,「旧高旧領」809石余「寛文覚書」によれば,本田の概高695石余,ほかに新田の概高13石余があり,概高合計708石余・反別43町余(田34町余・畑8町余),家数55・人数470,牛馬45,塩浜1町余「徇行記」では,全村蔵入地,戸数146・人数658,牛馬8,産業は「農業ヲ以テ専ラ営トス」としながらも「其内酒造屋三戸アリ,酒ハ勢州辺ヘ積送ル,又漕賈ヲ営ミトスル者アリテ四五十石積ノ波不知船三艘アリ」という天保12年か15年に作成されたと思われる村絵図をみると,本郷は海岸近くの南北に通じる東浦街道沿いに集落を形成し,ほかに枝郷の原郷があり,曹洞宗徳正寺,村社豊石神社をはじめ8社がある(武豊町誌資料編1)豊石神社には竜神の恋という竜神の娘お竜の悲恋伝説が残り,祭礼にはお竜の霊をなぐさめるため山車に竜頭をかかげ花火を打ち上げるその様子は,「尾張名所図会」にも記される明治7年徳正寺に愛敬学校設置,同9年大足学校と改称同11年武豊村の一部となるなお,大足の名は現在も通称として用いられている |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」