ケータイ辞書JLogosロゴ 大戸郷(中世)


茨城県>茨城町

 室町期〜戦国期に見える郷名。常陸国吉田郡のうち。嘉元田文に「大戸長岡三十町」などと見え(所三男氏所蔵文書),長岡とともに1郷をなしていた。室町期になると,吉田社神事次第写に,「同(九月)十五日嘉例神事 従大戸郷役」と見え,吉田社の9月15日の嘉例神事の費用を負担している(吉田神社文書/県史料中世)。天正18年4月18日江戸重通は額田城(小野崎照道)攻撃にあたり,平戸通国・嶋田中務少輔に,鉄放・弓・鑓などを集めさせるとともに,「中妻境目」が不穏であるから,「上野・長岡・大戸口々」の軍勢を率いて河和田城の守備にあたることを命じている(石川氏文書/県史料中世)。なお,平安後期,吉田幹清は「大戸祖」といわれ(常陸大掾系図/続群6上),大城坪とよばれる地がその居館跡という(新編常陸)。文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272116
最終更新日:2009-03-01




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