ケータイ辞書JLogosロゴ 大戸新田(近世)


茨城県>八千代町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国結城郡のうち。幕府領。「天保郷帳」「旧高旧領」には大戸村新田と見える。享保10年吉田用水開削により開拓。享保年間の検地で41石余が打ち出され,「天保郷帳」「旧高簿」ともに同高。はじめ水口村持添新田,天明の飢饉後水口村名主一人持となり,入百姓を招致して立て直しを図ったが,嘉永3年平塚村名主弥左衛門に譲渡,さらに武州幸手宿名主善六を経て明治期には猿島【さしま】郡諸川新田鈴木太郎兵衛所持となる。明治2年の高反別帳によると,「手余荒地拾ケ年引」として慶応元年から明治7年まで,17町4反余・35石余が無年貢であった(兵庫田辺家文書)。明治期に入ると当村ほか長左衛門新田・水口新田・恩名新田・成田新田は五新田と称された。明治8年茨城県,同11年結城郡に所属。明治22年下結城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272121
最終更新日:2009-03-01




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