ケータイ辞書JLogosロゴ 大中村(近世)


茨城県>里美村

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国多賀郡のうち。はじめ岩城氏領,慶長7年松岡藩領,元和8年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」1,153石余,「元禄郷帳」1,562石余,「天保郷帳」1,621石余,「旧高簿」1,105石余。「水府志料」によれば,小菅組に属し,戸数120,村の規模は東西3里・南北21町。棚倉街道の宿駅が置かれた。正徳3年の人別帳では,家数221・人数742。寺院は真言宗隆真院・同永命寺・曹洞宗松安寺などと山伏3。のち松安寺は当地方の旧支配者である岩城氏とのつながりを断つためか潰され,小木津村から同宗泉福寺が移された。また当地方の修験に大きな勢力をふるっていた竜真院も潰されている。文化11年には大火があり宿並みはほとんど焼失したという。明治4年茨城県,同11年久慈郡に所属。明治22年小里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272128
最終更新日:2009-03-01




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