ケータイ辞書JLogosロゴ 大貫村(近世)


茨城県>大洗町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ常陸国鹿島郡,文禄3年茨城郡,元禄年間からは鹿島郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」1,236石余(ほか新田35石余),「元禄郷帳」1,219石余,「天保郷帳」1,278石余,「旧高簿」1,100石余。検地は文禄3年・寛永18年・天保13年。元禄15年の戸数171(新編常陸)。「水府志料」によれば,浜田組に属し,戸数271,村の規模は東西20町余・南北23町余,飯沼街道が通る。涸沼川に渡船場1か所,登城に館跡,反町・八枚に秣場がある。宝永3年松並勘十郎らにより土木工事着手。勘十郎堀(堀川)の完成により大貫河岸は,干鰯・米・煙草・魚粕・塩などの取引が盛んとなり問屋も設置された。寺院は,応永29年大貫氏の求めにより宥祖法師が祈願,建立の真言宗西光院,神社は天安元年創立という諏訪大明神。天狗諸生の乱により磯浜・大貫の村落は大半が焼失。明治7年大貫郵便局開設。明治8年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治9年旧西光院を仮教場として大貫尋常小学校開校,同13年字蔵前に新築。明治22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272133
最終更新日:2009-03-01




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