ケータイ辞書JLogosロゴ 大野郷(中世)


茨城県>総和町

鎌倉期〜戦国期に見える郷名下総国下河辺荘のうち鎌倉後期と推定される年月日未詳の称名寺寺用配分置分に「竹岸殿御跡〈坂本郷 佐嘉御文領 下川辺荘内 志摩郷・大野郷〉米一石四斗六升,銭二貫六百三十文」と見え,金沢氏から称名寺(神奈川県)に寄進された所領と思われる(金沢文庫文書/古河市史)天文23年12月24日の足利義氏充行状写に「先御落居之地廿五郷……牛谷・小堤・大野……以上廿五郷」と見え,野田左衛門大夫に充行われている(野田家文書/古河市史)天正2年と推定される12月15日の足利義氏制札写に「関戸・大野百姓可致還住事」と見え,小田原北条氏と簗田氏の関宿合戦によって逃れていた御料所内の百姓の還住を命じる制札が出されている(野田家文書/古河市史)江戸期には上大野村・下大野村が見えるが,天正2年と推定される12月2日の芳春院周興・昌寿連署状写に「上大野 印東次郎左衛門尉」と見えることから(喜連川家料所記/古河市史),現在の総和町下大野に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272155
最終更新日:2009-03-01




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