ケータイ辞書JLogosロゴ 大町(近世)


茨城県>土浦市

 江戸期〜明治22年の町名。土浦城下のうち。土浦城の南西に位置する。享保年間の土浦城郭図(土浦市立図書館蔵)によれば,町筋は水戸街道の両側に沿って南西から北東にのび,南東は桜川に架かる銭亀橋で区切られ,北東は簀子【すのこ】橋を経て田宿町に接し,北西と南東は堀川で囲まれている。享保12年水戸街道の松並木を伐採し新たに町屋が建てられて造成されたという(新編常陸・土浦市史)。町人地。日本橋から数えて18番目の一里塚がある(土浦市史)。旅籠屋に鎌倉屋・松坂屋などがあり,桜川には河岸が設けられていた(同前)。享保10年からは銭亀橋付近に新大市が立つようになった(おだまき/土浦市史編集資料)。文化元年12月晦日,同12年,同13年2月3日などに火災に遭い,安政年間の当町町火消しは,大組を称した(土浦市史)。江戸後期には穀屋・肥料屋・金物屋などの商家がたちならんでいたという(同前)。明治22年土浦町土浦の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272197
最終更新日:2009-03-01




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