ケータイ辞書JLogosロゴ 大矢口(中世)


茨城県>岩井市

 戦国期に見える地名。下総国下幸島【しもさしま】のうち。永禄11年と推定される7月26日の足利義氏条書写に「大口・猫実・大矢口・駒羽・苅宿四ケ所之儀何も申上旨……大口之事,頼光寺為御恩賞被充行候,其外三ケ所之儀,先年左衛門大夫返忠之砌,家中之者三人ニ一代与被仰定被下之候」と見える(野田家文書/古河市史)。「四ケ所」とあるが,5か所の地名が見える。そこで「其外三ケ所」が5か所のうちのどの地名をさすかが問題となるが,天正2年と推定された12月2日の垪和康忠充芳春院周興・昌寿連署書状写には,さきの5か所のうち大矢口・駒羽・苅宿の3か所がそれぞれ義氏の家臣を知行人として見え(喜連川家料所記/古河市史),大口・猫実は見えない。したがって,大矢口・駒羽・苅宿が義氏条書の「其外三ケ所」であり,さらにその知行人が義氏条書の「家中之者三人」であったと考えられる。野田左衛門大夫の「返忠」によって,その所領3か所が没収され,3人の家臣に一代に限りそれぞれ与えられたのであろう。芳春院周興・昌寿連署書状写によると当地の知行人は安西但馬守。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272228
最終更新日:2009-03-01




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