ケータイ辞書JLogosロゴ 大矢橋(中世)


茨城県>美野里町

平安末期に見える橋名「吾妻鏡」治承4年11月4日条に「然而義政者依広常誘引,参于大矢橋辺之間,武衛退件家人等於外,招其主一人於橋中央,令広常誅之,太速也」と見える治承4年8月の源頼朝の挙兵に,佐竹氏が参陣しなかったため頼朝は佐竹義政・秀義兄弟を討つため常陸国府に布陣し,佐竹氏には千葉広常を使者として遣わした佐竹義政が源頼朝に帰順して千葉広常の誘引により大矢橋に来た際,源頼朝は橋の中央に義政1人を招き,義政は千葉広常に殺害された「新編常陸」は橋の位置を「茨城郡ニ大谷村アリ,滑川ニソヒタル地ナリ,思フニコノ処ニアリシ橋ト見エタリ」と記し,現在の美野里町大谷と石岡市石岡正上内の間の園部川に架かっていた橋と思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272234
最終更新日:2009-03-01




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