ケータイ辞書JLogosロゴ 大和田村(近世)


茨城県>霞ケ浦町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国新治郡のうち。はじめ佐竹氏領,元禄年間・幕末期ともに旗本堀氏知行。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」では小神大和田村として202石余,「元禄郷帳」343石余,「天保郷帳」361石余,「旧高簿」360石余。助郷は加助郷のほかに将軍日光社参の時の寄人馬徴収の賦役がかかり,古河宿まで出役(出島村史)。のちに買人馬を利用して文久3年には助郷高220石・勤人足11人・勤馬6疋6分で丸買(金納)としている(千代田村史)。正保3年宍倉藩主秋田俊秀が奥州三春に国替となり,領地内の1万2,240石を水戸藩が拝領し,代わりに9,620石を上地とし差の2,600石が無地高となったため,当村はじめ6か村に1,740石が割り当てられた。寺院は真言宗竜円寺・東福院(新編常陸)。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。同10年大和田小学校創立。同14年樹芸社が拝借をした官有原野に当地も含まれていた(出島村史)。明治22年美並村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272259
最終更新日:2009-03-01




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