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- 岡田郷(古代)とは
「岡田郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 岡田郷(古代) 平安期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡田郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」牟婁【むろ】郡五郷の1つ天平勝宝2年2月21日付の村君安麻呂の勘籍(正倉院丹裹古文書/大日古編年25)に,「神亀四年所貫岡田郷戸主村君辛兄之男同部安麻呂」と見え,安麻呂は天平5年にも当郷に居住していたなお安麻呂は同郡の栗栖郷を本貫としていたが,当郷に移住し,さらに栗栖郷へ戻っていることから,両郷は近接し何らかの関係があったものと推定される当郷域については,「地名辞書」は詳細不明としながらも「太田村下里村などにあたるか,太田川の谷にて上游を色川と曰ふ,太田岡田相ちなまざるにもあらず」といい,現在の那智勝浦町付近と推定している一方,「続風土記」「地理志料」は現在の上富田【かみとんだ】町・白浜町・日置川【ひきがわ】町付近に比定している現在の上富田町の岡をはじめ,富田川流域に中ノ岡などの地名が残ることから,この付近一帯とも考えられるが,未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡田郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」常陸国久慈郡二十郷の1つ久慈川中流域の山間地郷名は,集落が岡の上にあることに由来するという(新編常陸)大宮町小祝に糠塚古墳群,同町岩崎に岩崎古墳群,同町上大賀に古墳時代の泉沢A遺跡,同町鷹巣に鷹巣古墳群,山方町野上に十三塚古墳群などがあり,大宮町鷹巣には奈良期の瓦窯跡がある「日本後紀」弘仁3年10月癸丑条に新設されたことが見え,「延喜式」に駅馬2匹を置いたことの見える山田駅家は,ひたちなか市勝倉とする説(新編常陸),水府【すいふ】村松平とする説などがあるが(郡郷考),当郷内(現山方町)にあったとする説もある(地名辞書)比定地は,旧岡田村(現常陸太田市岡田町)周辺とする説もあるが(新編常陸),「大賀」は岡の転訛とする「地名辞書」の説に従って,旧大賀村周辺,現在の那珂郡大宮町北辺部と同郡山方町南部に比定するのが妥当であろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡田郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」常陸国久慈郡二十郷の1つ久慈川中流域の山間地郷名は,集落が岡の上にあることに由来するという(新編常陸)大宮町小祝に糠塚古墳群,同町岩崎に岩崎古墳群,同町上大賀に古墳時代の泉沢A遺跡,同町鷹巣に鷹巣古墳群,山方町野上に十三塚古墳群などがあり,大宮町鷹巣には奈良期の瓦窯跡がある「日本後紀」弘仁3年10月癸丑条に新設されたことが見え,「延喜式」に駅馬2匹を置いたことの見える山田駅家は,ひたちなか市勝倉とする説(新編常陸),水府【すいふ】村松平とする説などがあるが(郡郷考),当郷内(現山方町)にあったとする説もある(地名辞書)比定地は,旧岡田村(現常陸太田市岡田町)周辺とする説もあるが(新編常陸),「大賀」は岡の転訛とする「地名辞書」の説に従って,旧大賀村周辺,現在の那珂郡大宮町北辺部と同郡山方町南部に比定するのが妥当であろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡田郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」山城国紀伊【きい】郡八郷の1つ高山寺本の訓は「乎賀多」,刊本の訓は「乎加多」「山城志」は当郷の比定地を「岡田〈已廃存東福寺門前町〉」とするが,根拠不明なお,貞観14年3月9日付貞観寺文書目録によれば,貞観4年12月7日,民部省符によって藤原良房を檀那とする貞観寺へ施入された地に「岡田地六町八段二百八十三歩〈在紀伊郡〉」が見えるが(仁和寺文書),これは当郷に関係あるものであろう比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡田郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」