ケータイ辞書JLogosロゴ 岡田郷(古代)


茨城県>ひたちなか市

平安期に見える郷名「和名抄」常陸国那賀郡二十二郷の1つ那珂川とその支流中丸川・本郷川流域の台地郷名は,高い所にある田の意(新編常陸),あるいは民居が多くは岡の上にあったので名づけたともいうひたちなか市中根に弥生時代〜古墳時代の東中根遺跡群,虎塚古墳群および笠谷古墳群などがあり,同市三反田に縄文・古墳時代の高井遺跡がある同市足崎【たらざき】に平安初期頃の原の寺瓦窯跡があり,「岡田□」という文字瓦を出土し,岡田郷と読めるという(勝田市史)ほかに「瓦作部」という文字瓦も出土するここで製作された瓦は,水戸市田谷廃寺や同台渡廃寺の瓦として使用されたという(同前)ひたちなか市中根の十五郎穴横穴群は,総数300基と推定されるが,奈良期の勝田を中心とした広い地域にわたる集落の共同墓地と考えられる同じく中根字宿の内からは平安期後半の蔵骨器を出土同市三反田地内に金糞を出土する所があり,平安期の製鉄遺跡と推定されるまた奈良末期〜平安初期と推定される鹿ノ子C遺跡出土の漆紙文書に「田□」と見える「新編常陸」は江戸期の外野・大島・上高場・下高場・柳沢村を当郷域に含めているが,柳沢は幡田郷内で(地名辞書),外野・大島・上高場・下高場は武田郷内と考えた方がよいので除外すべきである(勝田市史)また,「地名辞書」の旧佐野村説は,佐野村の大字である高場・高野・稲田という地名を「高」「田」=岡田というように岡田郷と結びつけたことによるもので,根拠薄弱であり,「勝田市史」に従って,勝田市(現ひたちなか市)足崎から中根・三反田にかけた地域に比定するのが妥当であろう
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272295
最終更新日:2009-03-01




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