ケータイ辞書JLogosロゴ 小勝村(近世)


茨城県>七会村

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」865石余,「元禄郷帳」836石余,「天保郷帳」886石余,「旧高簿」655石余。「水府志料」によれば,増井組に属し,戸数108,村の規模は東西20町余・南北1里4町余。錫高野村などとともに錫の産地。寺社は法華宗本門寺・鹿島明神(新編常陸)。鹿島明神ははじめ宝蔵寺の僧が管理したが,元禄年間徳川光圀が吉田氏の一族を招いて管理させた(西茨城郡郷土史)。明治8年茨城県,同11年西茨城郡に所属。明治22年七会【ななかい】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272298
最終更新日:2009-03-01




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